• 諸花於呼

跨ぎ袖【9】

 約束の時間を三時間ほど過ぎて、芳邦の向かいに建つ居酒屋「八金亭」に現れた中島の脂ぎった肌とはだけたスーツ姿を見て「お前、風俗行ってたやろ」と指摘すると「うん、まあ、二時間な」と答えたので彼の今にもはち切れそうな二の腕を強く張った。


「こっちはそれどころちゃうねんぞ」

「佐久間も風俗行ったらええやん」

「そんな金あるか! いや、あるわ……」

「はあ?」

「ま、とりあえず飲もや。飲まなやってられへん」


 カウンター席に着くと、ガラス越しの目の前でバイトらしき若者が焼き鳥を焼いている。炭の良い匂いだ、僕と中島はタバコに火を付け燻らせながら、メニューを見つめる。今更ながら湧いてきた食欲に身を任せ注文を終えると早速「で、話ってなんやねん」と中島が切り出してきた。彼のすらっとした腕には入れ墨がちらちらと見え隠れしている。


「ここの向かいに芳邦って旅館があるんやけど、知っとるか?」

「ああ、知っとる。ここらの物件ならなんでも知っとる」

「ほんで、その芳邦にやな、僕の親父が滞在してたらしいんやわ」

「ほんま。めっちゃ金かかるやん。まあ売れっ子作家やから造作もないか」


 生ビールでひとまず乾杯する。二年前には大学の同級生だったくせに、すっかり卑小を身に纏った中島が僕のジョッキの底のほうに、コツンとやる。そのままあおると、微少な泡の粒が、喉を押しやってつぶれてやっと僕の食道はまともに機能した。


「いやー、暑い日に飲むビールは格別やな」

「今晩めっちゃ暑いやんな。せや、佐久間。仕事はどうなん?」


 珍しく中島のほうから仕事の話を振ってくる。こういうときは彼のほうに「いいこと」があったときなのだ。僕は肩をすくめて言う。


「全然。変化なし。良くもないし悪くもない。営業合わへんわ」

「そかそか。希望は営業ちゃうんやろ?」

「ウン、企画部。でも入社してまずは営業からって」

「まあ大体そんなもんやろ。俺も営業回りから始まったからな」

「カタギの仕事な」

「俺は絶対ヤクザでのし上がったろ思ってた。やけど、ここに来て営業のほうで才能開花させてもうたんや」

「ふーん、じゃあ地上げ屋を本業にするん?」

「せやな」


 先付けのたこわさびがやっと運ばれてきて、中島は箸でちょちょいと摘まみ、口へ運ぶ。内心僕はほっとしていた。ヤクザになると言った中島が、どこか遠くに消えてしまいそうな気がして、一応、心配してはいたのだ。


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