• 諸花於呼

跨ぎ袖【2】

 突然知らない電話番号からかかってきたものだから警戒して、一度目は応答せずにいたのだけれど、日に三十回もかかってくるとさすがの僕も、尋常ならざる事態であることを察し、折り返し、電話をかけたのだ。するとその電話を取ったのが女将の娘さんで、夏風に揺れる風鈴のような透き通った張りのある声をしていた。ややうわずった声で――愚かしいことに僕はこのとき舞い上がっていた――名乗ると彼女は「ああ!」と元気よく合点のいったふうな声を出し「今すぐこちらに来れますか」と宣った。

 僕はそのとき下北沢の水タバコ屋で、そのとおりそれをやっていたものだから「や、今すぐには無理です」と言ったあと「ところでおたく誰?」と恐らく一言目で確認しておくべきだった事項を、今更ながらに訊いてみるのだった。


「失礼いたしました。私、小春といいます」

「なるほど小春さん。どういった用件で、どういう理由で、どこに行けば良いのですか」

「失礼いたしました。標(しめぎ)史郎というかたをご存じでしょうか」

「ん? ああ、親父がどうかしましたか?」

「親父……? 標先生はあなたのことを友人だと仰っていましたが」


 こういうところ。思えば小春はこう、言わなくても良いことを何のためらいも無く喋ってしまう女だった。


「どうせ親父がパーこいてるんでしょうね」僕は内心動揺しつつ、それでも平静を装って続ける。

「それで、親父がどうかしましたか?」

「ここ二、三日、姿が見当たらないのです」

「ちょっと待ってください……小春さんはもしかして、病院の関係者のかたでしょうか」

「違います。旅館をやっているもので」

「旅館?」


 僕はてっきり、親父が恋人でもこさえたのだと思った。だがそれにしては小春の声は若すぎる。親父は今年五十七歳になる。今さらになって若い女が欲しくなったのだろうか。


「で、僕は親父を探せば良いのでしょうか」


 僕のこういうところが発動して、小春と親父の関係性を訊けずじまいに、小春の斜め上の返答。


「こちらに来ていただければそれで……」

「だからそこはどこなんだって」僕はいい加減、苛立っていた。

「よしくにです」

「よしくに?」

「大阪にある、芳邦という名前の旅館です」

「あー……」


 求めた情報の三割しか返ってこない。


≪前回  次話≫