• 諸花於呼

跨ぎ袖【10】

 心配しておきながら中島を残して、先に東京へ消えたのは他ならぬ僕だった。もし僕が大阪に残っていたなら……こんな事態にはならなかっただろうな。


「ああ、ごめん。で、話ってなんなん」

「せやったせやった。僕、その芳邦の世話しなあかんかもしらんねん」


 中島の箸からたこがするっと逃げおおせた。いや、逃がしてしまったと言うべきか、彼の口はアカシアの花のように開き、短いモヒカンの頭を垂れ、視線はあらぬ方も向いて右往左往している。ただ事ではないな、と僕は思った。そして間もなく平静を取り戻した彼はタバコに口を付け、ふうっと吐き出し「そうかあ」とだけ呟いた。


「どうしたん?」

「いや、俺が今まさに交渉してんのがその芳邦やねん。けどなかなか女将と連絡つかんしなあ」


 気まずそうな表情を保ったまま中島は続ける。


「あそこの娘さん、おるやろ? ここ二ヶ月顔も見せへんし、話を聞こうにもどうもな……目、見えへんやんか。困り切ってたとこやねん。佐久間が権利者になるってんなら、俺は佐久間と交渉せなあかんのか」

「実はそのことやねん、話を聞いてもらいたいのは」


 僕は今に至るまでのいきさつを彼に話した。中島が芳邦を買い上げて彼の踏み台になるならそれは僕にとっても利のある話だと思った。だが現状、親父の考えるところが掴めずじまいだし、女将に至っては顔も知らない。


「お前の親父、今どこにおるん?」

「海外」


 そういえば親父の行き先は海外としか教わっていない。チキン南蛮をひょいと箸でつまみ上げ口に放り込みながら僕は思索にふける。どこだろう……うむ、医療の発展している国だとすればアメリカとかだろうか。いつ何時こんな事態が起こっても良いよう、勉強に勤しんでおくべきだった。社会に出てから気付く自分の無学さに辟易する。


「海外ってあれ? 取材かなんかか」

「駆け落ち」

「駆け落ち~~? お前のお袋さんの件で痛い目見たやろに、まーたそんなことやっとんのか」

「まあ、今回は事情が事情だけにな」

「ふうん?」

「病気しててな、それが心臓に紙魚が寄生するとかいう、わけわからん病気らしいんや」

「紙魚って、あれか。こう、本食いよる奴か」

「せやせや」


 ヒィヒィヒィ、独特の笑い声を八金亭中に響かせて、中島はその大きな掌を打つ。その様子を見ても、まだ僕は自分の中に生じていたしこりに気付かずいたのだ。


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