• 榊凛

娼婦と淑女【1】

 また理(あや)に悪い虫がついたなと思ったのは、大学一年の春、基盤科目として受講していた宗教学概説の授業のときだった。


 出席してレポートを出せば単位がもらえることがわかっているこの科目の授業を真面目に聞いている人は少なく、講義室にいる学生の多くはスマホを見たりパソコンで別の科目の課題をやっていたり寝たりしていたから、先生の言葉を一字一句ノートに書き留めている理のような学生は稀だった。


「あっ」小さな声と共に理の消しゴムが落ち、彼女の右側、私とは反対の方向にコロコロと転がっていく。それを拾った男子こそが、理に新しくついたと思われる悪い虫、佐藤(さとう)肇(はじめ)だった。同じ学部の同じ科なので名前は知っているが、名前以外は何も知らない。爽やかな容姿と柔和な表情は優しく誠実な性格を連想させるが、私は警戒心を解かなかった。


「はい、鏡宮(かがみや)さん」「ありがとうございます」短いやり取りが交わされて、理の消しゴムは持ち主のところへ返された。それでやり取りは終わったはずだったが、佐藤肇は理に熱い視線を送ることをやめなかった。それ自体は無理もないだろう。理は顔がとても可愛いし、スタイルだって抜群にいいのだ。気になるのも仕方ない。けれど、私にはそれが途轍もなく不快だった。自分にそっくりな双子の妹が妄想の中でいいようにされているかと思うと、机の上に置いたカルピスを頭からぶっかけてやりたい気持ちでいっぱいになる。