• 黒田明男

みずからゆだる【4】

 憶えているのは、これだけだ。


「大学に行って、就職してお金がたまったらお店を開きたいけど、お母さんには、そんなの無理だし大学なんて無駄だから行くなって言われる」


 たったこれだけの文字の連なりを、俺は何度も読み返した。


 理解は最初でできた。だがこれは、理解でなく受容の問題だった。あまりに整然として分りやすく、だからこそ受け入れ難かった。子供の夢をこんな風に否定する親、というのが現実に存在する、ということが、十五歳の俺には受け止められなかったのだ。


 十五歳の子供なりに、酷い大人がいるというのは知っていた。どうしようもない人間というのは俺の親戚にだっていた。そういう人間である叔父を、別の叔父が祖父の通夜の席で怒鳴りつけ、口論になり、庭に飛び出して殴り合いを始めるのを目の当たりにしたのは、十一歳のときだった。でも、それとこれとは違った。俺と同じクラスの女子の親なのだ。そういう親をもつ女子が、俺と同じクラスにいるのだ。

 

 しかしそういう事実に、単純に憤って盛り上がれるほど幼くはなく、かといって胸に湧き出してくる苦い思いをやり過ごす術も無ければ、呑み込むことができるほどの強さも俺には無かった。なのに世の中のことなんて全てわかったようなつもりでいる、俺は十五歳の、やはり子供でしかなかった。


 岡田美津子が母親と二人暮らしで、母親がここ半年ほど病気で入院していること。その間、岡田美津子は親戚の家に世話になっていて、居心地の悪い思いをしていること。それらは、わら半紙に書いてあったことだろうか。それとも別のどこかで知ったことだっただろうか、それは記憶に無い。


 渡辺和也が言った。


「岡田って、頭良さそうな顔してて気に食わなかったけど、けっこう大変だったんだな」


 雑な言い草にイラっとしながら、でも俺は、それに頷くことしか出来なかった。岡田美津子の人生の問題はあまりに整然として、まるで硬くてつるっとした表皮を持つ果実みたいで、俺には歯が立たなかった。でも逆に、だからこそ岡田美津子は、文字に表すことが出来たんだろう。すらすらと紙に現れていく文字を見ながら岡田美津子がどんな気持ちだったのか、そんなのは無視して出来上がった、そういう文字の連なりだったに違いないーーいまの俺は、そう確信している。


≪前回